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2007年11月19日 (月)

御成小学校

071117onarishogakko1071117onarishokoji1日本人は古い建物を壊し、新しい建物を建ててしまうのが残念だ…と何度、英語講師言われれた事か。しかも1人だけではなく、昔の講師にも言われたっけ。先日も、鎌倉の小学校が工事していて、そこにある古い建物が壊されるかもしれないと、講師は心配していた。確かに鎌倉の古い建物は壊されていると思う。日本人は歴史を学び、尊ぶべきだと講師は嘆いている。どうも気になって一緒に小学校を見に行った。
小学校の名は御成小学校。鎌倉駅の江ノ電側を出て、紀伊國屋の前の道路を左に入る…ちょうど御成通りと平行する道に御成小学校はある。
立派な校門に驚いた。校門から続く小学校の敷地と歩道の境界線に工事現場の幕がかかる。看板を見れば、道幅を広げる工事だった!ほっ、良かった。建物じゃなかった。

071117onarishogakko2071117onarishokoji2幕の内側には古い木造の建物が建つ。どうやら今は使われていないようだ。屋根の上には煙突みたいに飛び出した小窓付きの突起があって、面白い建物だなと思った。庭には数本の大きな木が立っていて、それらの木の行く末を案じた。まさか、引っこ抜いて捨てられるのだろうか?講師は木を見上げながら、この木は歴史だと呟く。そうだね。この木は歴史の証人だ。多くの子供達の往来を見てきたのだろう。
小学校の外れの交差点で信号を渡ると、マンションの角に石碑が塀に囲まれて窮屈そうに立っていた…何だか無理やり感があってせつない。「問注所舊蹟」と書いてあるのかな?…何だろう。
071117monchujosekihi1道路を隔てたまま校門の前まで戻り、50センチ位高くなっている所に上がって小学校を見渡すと、中にも古い校舎らしき建物と新しい建物が見えた。ステキな小学校だなぁ。
家に帰ってインターネットで小学校の事を調べてみると、ここにはかつて御用邸があったのだった!
1931年(昭和6年)、鎌倉御用邸の払い下げを受け、鎌倉郡鎌倉町(現在の鎌倉市)は、この御用邸跡地に小学校の建設を決定。
1933年(昭和8年)、完全した小学校は鎌倉郡立御成尋常高等小学校と名付けられ、開校。
1937年(昭和12年)、ヘレン・ケラーが来校し講堂で講演しただって~!へ~!
1947年(昭和22年)、鎌倉市立御成小学校へ改称。1955年(昭和30年)、校門落成。門札は高浜虚子の書を元に、彫ったもの!
071117monchujosekihicu1983年(昭和58年)、3号校舎が火災で焼失。鉄筋コンクリートの校舎への建替を検討したが、周辺環境に悪い影響を与えると地域住民などの反対を受け、最終的には鉄筋コンクリート製だが周辺の環境と調和する木造風の2階建て校舎を建設。(もう十分周辺の環境に合っていない建物もあるけどね!)
この時、基礎工事を行った際に鎌倉郡の郡衛(郡役所)中心部の遺構(今小路西遺跡)が発見された。遺構から733年(天平5年)の木簡が発掘されたことにより、鎌倉は奈良時代に郡の中心的地域であったと推定されている。
また、交差点にあった石碑は鎌倉時代、源頼朝幕府の問注所(訴訟の受理などを扱った裁判所の一部局)があったことを示していたのだ。
予期せぬドラマチックな展開にビックリ!鎌倉の奥深さを思い知らされた気分だ。歴史を学び、尊ぶとは、結局、自分の近くにあるものを知り、大切にすることから始まるのかもしれない。

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