« 七福神めぐり④御霊神社 | トップページ | 梅とボタン@荏柄天神社と鶴岡八幡宮 »

2008年2月 4日 (月)

七福神めぐり⑤宝戒寺⑥妙隆寺⑦本覚寺

080202hokaiji 今週も鎌倉・江ノ島 七福神めぐりの続き。正直、少々飽きたけど、鎌倉駅から徒歩圏内の3つの寺を一気にめぐるぜぃ~!
宝戒寺毘沙門天(病魔退散、財宝富貴の神様)
宝戒寺は八幡様の前の道路を向かって右に入った突き当たりにある。ここは鎌倉時代に執権を務めた北条氏の屋敷があったらしい。1333年(元弘3)、新田義貞の鎌倉攻めにより鎌倉幕府は北条一族と共に滅亡。1335年(建武2)、北条氏の霊を弔うため、後醍醐天皇が足利尊氏に命じてこの地に寺を建立させた。天台宗の寺。
あっちの枝にもこっちの枝にも梅のつぼみがいっぱい付いて、中にはすでに咲いている梅もあった!寒くても着実に春が近付いているのね。
毘沙門天は1998年(平成10)1月1日より安養院から宝戒寺に移され、本堂内の本尊の左側に並んで祭られている。
仏教では四天王のひとりで、須弥山(しゆみせん)の中腹北方に住し、北方世界を守護し、また財宝を守る。インド神話では財宝の神様だ。
宝戒寺●住所●小町3-5ー2080202hokaijikohakubai

080202myoryuji妙隆寺寿老人(長寿の神様)
宝戒寺を出て、前の道を左に入ると、その道沿いに妙隆寺がある。この辺り一帯は鎌倉幕府の有力御家人だった千葉氏の屋敷跡らしい。1385年(至徳2年)、その一族の千葉胤貞(たねさだ)が七堂伽藍を建立して妙隆寺を創建し、中山法華経寺の日英上人を迎えて建立した。日蓮宗の寺。
2世の日親上人は「立正治国論」を唱え、足利義教の悪政を戒めたが、弾圧され数々の拷問を受け、ついには焼けた鍋を被せられて「鍋かむり日親」と呼ばれていた。日親上人が寒中、100日間水行したとされる池もあるが、現在はコンクリートで整備されている。
本堂手前に建つ小さなお堂の中にケヤキ一本造りの寿老人は祭られ、足元に鹿が横たわっている。
そもそも彼は中国の出身。長頭の老人で杖を携え、うちわを持ち、鹿を連れていたという。
妙隆寺●住所●小町2-17-20

080202hongakuji本覚寺夷尊(商売繁盛、漁業の神様)
元来た道をさらに進むと右側に本覚寺がある。1436年(永亨8)、足利持氏が鎌倉の夷堂がある場所に寺を建て、日蓮上人の弟子である一乗日出上人を開山として創建。日蓮宗の寺。
1274年(文永11)、佐渡流罪を解かれて鎌倉に戻った日蓮上人は、この夷堂に滞在。その後、山梨の身延山に久遠寺を建立し、本格的に日蓮宗の布教を行った。本覚寺分骨堂には、身延山から分骨した日蓮上人の遺骨が納められているため、「東身延」とも呼ばれている。鎌倉幕府にとって夷堂がある場所は、裏鬼門といわれる不吉な方角にあたるため、源頼朝が夷尊を守り神として祭ったと伝わる。
境内に建つ立派な八角形の夷堂の中に夷尊が祭られている。関東では古く恵比寿とは書かず、夷と書いたようだ。こちらの夷様は漆黒の小さな像で定朝の作。目と口だけが青く、鯛を釣り上げている姿ではない。七福神の中では唯一日本の神様だ。
本覚寺●住所●小町1-12-12

|

« 七福神めぐり④御霊神社 | トップページ | 梅とボタン@荏柄天神社と鶴岡八幡宮 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/24508/10247964

この記事へのトラックバック一覧です: 七福神めぐり⑤宝戒寺⑥妙隆寺⑦本覚寺:

« 七福神めぐり④御霊神社 | トップページ | 梅とボタン@荏柄天神社と鶴岡八幡宮 »